6月28日は、翻訳家 谷口 由美子さんが自ら手掛けられた英米児童文学の魅力をお伝え下さる茶論(サロン)トーク、「茶論トーク 英米児童文学の愉しみ」を開催致しました。
参加下さいました皆さま、ありがとうございます♪
今回、谷口さんが取り上げました英米児童文学は「あしながおじさん」でした。
「あしながおじさん」は、ジーン・ウェブスターが1912年に発表した児童文学作品。
孤児院で育った少女ジュディの文才が一人の資産家の目にとまり、毎月手紙を書くことを条件に大学進学のための奨学金を受ける物語です。
日本では1919年に初めて翻訳本が出ていて、その時の翻訳本のタイトルは、原書のタイトル「Daddy-Long-Legs」の虫の名前の日本語訳と資産家の仮の名前ジョン・スミスから「蚊とんぼスミス」。
1933年の翻訳本から「あしながおじさん」が使われ、以降、そのタイトルが使われています。
谷口さんも「あしながおじさん」のタイトルで翻訳、表紙のデザインは原書のウェブスターの手による挿し絵を使用しています。
谷口さんが常々仰っているのは、翻訳本は「日本語の文学として愉しめることが大切」ということ。
特に児童文学を読む子どもたちは、外国を舞台にした日本の作品と思って読む可能性もあるのですから。
ですので、原書は厳然として存在するのだけれども、翻訳本は時代の読み手に合わせた言葉で書かれていってよいものであるし、何年にもわたって翻訳され続けるということは、それほどに原書の物語が魅力的であることになります。
今回の茶論トークでは、谷口さんが1919年に出版された翻訳本と谷口さんの翻訳本の同じ個所を読み比べてくださいました。それは主人公のジュディが、ほかの子たちはもうすでに読んでいる文学作品を時間を作って読んでいる、というシーン。
原書の中で、ジュディがおじさまに「「Little Women」を読んだから、もうライムのピクルスのこともわかるわ」と報告しているシーン。
日本で「Little Wemen」が「若草物語」のタイトルで出されたのは1934年のこと。
なので、1919年当時は違うタイトルの翻訳本名になっています。
「あしながおじさん」翻訳にあたっての、谷口さんならではの工夫も随所になされています。
たとえば、ジュディが書いたものとしてウェブスターが書いている手紙中の挿し絵のキャプションの翻訳の手書きは、女子大生ジュディが書いたようにするためにした工夫だったり。
ジュディがおじさま宛に書くときに、いろいろな感情(時には怒って書いているときも)で原書に書いてあるのを、宛名で表現したり。
細かなところでは、作品中、アラバマ州の“ビショップ”が講演に訪れたことを報告する手紙を訳するにあたり、カトリックとプロテスタントでは“ビショップ”の日本語訳が異なることから、ジュディの通う大学のモデルにしたウェブスターの母校ヴァッサー・カレッジにウェブスターが学んでいた当時カトリックとプロテスタントのどちらであったかを手紙にて問い合わせたそうです。
その答えは・・・、谷口さんの翻訳本で確かめてみてください。
また「あしながおじさん」でいつも話題になるのが、続編「Dear Enemy」の訳本が今の時代出すのが難しい、という話です。
それは、その当時のアメリカの時代状況を反映した箇所が、今の時代では差別的表現になってしまうため、です。
このように、翻訳されていないために知られていない英米児童文学もあるのです。
参加下さいました皆さま、ありがとうございます♪
今回、谷口さんが取り上げました英米児童文学は「あしながおじさん」でした。
「あしながおじさん」は、ジーン・ウェブスターが1912年に発表した児童文学作品。
孤児院で育った少女ジュディの文才が一人の資産家の目にとまり、毎月手紙を書くことを条件に大学進学のための奨学金を受ける物語です。
日本では1919年に初めて翻訳本が出ていて、その時の翻訳本のタイトルは、原書のタイトル「Daddy-Long-Legs」の虫の名前の日本語訳と資産家の仮の名前ジョン・スミスから「蚊とんぼスミス」。
1933年の翻訳本から「あしながおじさん」が使われ、以降、そのタイトルが使われています。
谷口さんも「あしながおじさん」のタイトルで翻訳、表紙のデザインは原書のウェブスターの手による挿し絵を使用しています。
谷口さんが常々仰っているのは、翻訳本は「日本語の文学として愉しめることが大切」ということ。
特に児童文学を読む子どもたちは、外国を舞台にした日本の作品と思って読む可能性もあるのですから。
ですので、原書は厳然として存在するのだけれども、翻訳本は時代の読み手に合わせた言葉で書かれていってよいものであるし、何年にもわたって翻訳され続けるということは、それほどに原書の物語が魅力的であることになります。
今回の茶論トークでは、谷口さんが1919年に出版された翻訳本と谷口さんの翻訳本の同じ個所を読み比べてくださいました。それは主人公のジュディが、ほかの子たちはもうすでに読んでいる文学作品を時間を作って読んでいる、というシーン。
原書の中で、ジュディがおじさまに「「Little Women」を読んだから、もうライムのピクルスのこともわかるわ」と報告しているシーン。
日本で「Little Wemen」が「若草物語」のタイトルで出されたのは1934年のこと。
なので、1919年当時は違うタイトルの翻訳本名になっています。
「あしながおじさん」翻訳にあたっての、谷口さんならではの工夫も随所になされています。
たとえば、ジュディが書いたものとしてウェブスターが書いている手紙中の挿し絵のキャプションの翻訳の手書きは、女子大生ジュディが書いたようにするためにした工夫だったり。
ジュディがおじさま宛に書くときに、いろいろな感情(時には怒って書いているときも)で原書に書いてあるのを、宛名で表現したり。
細かなところでは、作品中、アラバマ州の“ビショップ”が講演に訪れたことを報告する手紙を訳するにあたり、カトリックとプロテスタントでは“ビショップ”の日本語訳が異なることから、ジュディの通う大学のモデルにしたウェブスターの母校ヴァッサー・カレッジにウェブスターが学んでいた当時カトリックとプロテスタントのどちらであったかを手紙にて問い合わせたそうです。
その答えは・・・、谷口さんの翻訳本で確かめてみてください。
また「あしながおじさん」でいつも話題になるのが、続編「Dear Enemy」の訳本が今の時代出すのが難しい、という話です。
それは、その当時のアメリカの時代状況を反映した箇所が、今の時代では差別的表現になってしまうため、です。
このように、翻訳されていないために知られていない英米児童文学もあるのです。