ある日のお客さまとの会話。

その方は、還暦過ぎて続けてらした自営をやめられ、それからブルースハープを習い、そしてギターを習い出した方。
今ではチューニングはもちろん、ギターを弾きながらブルースハープも同時に吹き、何人かの方と介護施設などでボランティア演奏活動をされています。

その方が、
「昔、小学校の習字の先生に
「同じ字を百回は書きなさい」って言われたことがあんの。
だから楽譜も「よぉ~し、百回弾いてやろうじゃないか」って練習するの。
そうしたら50回くらいになると、なんとなく分かってくるのね。」

この話を聴いて思い出したのが、桂 枝雀さんのエピソード。

枝雀さんが師匠の米朝さんに
「私は文楽の良さがどうも分かりませんわ」
と伝えたところ、米朝さんに
「それはあんたが分かるレベルにないからや」
と言われたそうで、
「そんなもんかなぁ・・・」
と思いながらも、その後も文楽を見続けているうちに、その良さがわかるようになった。
というお話。

一語一句までは覚えていませんがそのような話だったと思います。

これには私も思い当たる節があります。
手前味噌ですが、お店ではジャズやブラジル音楽のライヴを火曜日の夜と日曜日の昼間を合わせて開催数が200回を超えました。
「Wine Lovers Club」というワインテイスティング講座で紹介したワインは延 200本に近くなっています。

これくらいになってくると、最初のキャッチーなところよりも、どことなくより深いところに魅力を感じてくるようになったと実感があります。

翻訳本に「簡訳」というのがあります。
これは読みやすいように、内容を省いて読む量を少なくした翻訳本のことです。どこを省いて、元のオリジナルの良さを残しながら簡訳するか?は訳者の技術に掛かってくるそうです。
でも、オリジナルよりも情報が少なくなっていることには変わりありません。
割愛された部分から得られるものを得るには、オリジナルに近い情報量を持つものを読むことです。

「わからない」ことに何度も向き合って「徐々にわかってくる」
この感動体験。
そして、そうして得られた智慧は確実に自分の身に付くものになると思います。

「体験する」ということは、しないことよりも世界が広がります。
でも「体得する」ということは、もっともっと自分の世界を豊かにします。

「意味の通じない本も百回も読めば、その意味するところが自然と明らかになってくる」

「やっぱりわからんわぁ・・・」
と言っていいのは、百回繰り返した人に許される言葉なのですね。

ガレリア カフェ ユウ オーナー 民谷 直幹記

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